遠く、日本海を眺望している銭屋五兵衛の像。左下の写真は、銭屋五兵衛記念館の前に展示されている北前船の大錨です。
銭屋五兵衛は、江戸後期に活躍した加賀の豪商。大阪、江戸を始め全国約30ケ所の支店、出張所を持ち前田金沢藩の財政を大いに助けた。
幕末の薩摩の豪商、山木の太平次と、蝦夷からの産物、琉球からの産品とのバーター交易などもし、大きな商いをなしていた。山木の太平次は、西郷隆盛から武器購入などを依頼され、明治維新達成への大きな役割をなしている。
加賀の平賀源内と称されている大野弁吉は、多くの発明をなしただけでなく、医術を始め語学(数カ国語が出来たという)も堪能であったため、銭屋五兵衛の片腕として大いに交易を助けたという。
銭屋五兵衛の拠点、金石(当時は宮越)は金沢西方の海岸に位置し、石川県では珍しく、数理に明るい地域であったと紹介する人もいる。この地に隣接する粟ケ崎には木谷藤衛門、向粟ケ崎には島崎徳兵衛と、矢張り、金沢藩の財政を助けた豪商がいた。
この地から、現在は無くなっているが、商社、安宅産業の創業者 安宅弥吉が出ている。後に世界的な仏教学者になった鈴木大拙の若き苦学時代のパトロンでもあった。
因みに、現在、大会社になっている、日機装の創業者もこの地の出である。
銭屋五兵衛及び大野弁吉を知る上で参考になるのは、童門冬ニの「海の百万石」、南原幹雄の「銭五の海」を読むと面白い。